奈女沢温泉/釈迦の霊泉(群馬県利根郡みなかみ町)
月夜野から”ゆけむり街道”を水上方面に、県道に出ている案内看板を左に入るとすぐアーチがあり、そこから3kmほど谷間の細い道を上っていく (今朝のNHKニュースでこの近くの山で山菜採りの方が熊に襲われたとのこと)
途中に案内の看板がある、さらに厳重な塀で囲まれた仏舎利塔の前を通り
一番奥の建物が宿泊施設の温泉
壁に大きな看板
丁寧な接客の女将さんに案内され食堂の一角にある流し台に源泉の蛇口があった
テーブルには、冷泉を飲んだ全国のお客さんからの手紙のコピーが病名別にファイルされていた
浴室は冷泉(22℃)を沸かした浴槽が2個、壁に描かれた蓮の葉と花・・枯れた葉も描かれている
掲示の温泉表示によると:温泉法のメタけい酸含有、PH9.7と高いが、透明で成分はあまり感じない
浴槽の間に、蛇口が飛びだしている・・・入浴しながら飲む源泉で飲みやすい
この源泉、「釈迦の霊泉」は、10リットル3500円で販売しているそうです
何日か宿泊して湯治さているお客さんも、おいでになるようだった
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
帰り道、浅間山の東側、群馬県嬬恋村にある
鎌原観音堂(かんばら)に参拝させてもらった
<以下の文は観光協会HPなどから引用>
●天明3年(1783年)7月8日、浅間山が大爆発した
火口より13㎞に位置する鎌原村は、火砕流に襲われ埋没、壊滅してしまいました。
当時の村の人口570人程のうち、477名もの人命が失われました。
しかし、火砕流に気づき、この観音堂にたどり着いた僅か93名のみが奇跡的に助かりました
熱泥流は、当時150段余り(50段の説も)あった石段の足元にまで迫り、15段を残して止まったといいます。
生死を分けた「15段」
昭和54年の発掘調査の結果、この15段のすぐ少し下で女性2名の遺体が発見され、
・・・・・・老婆をおぶった若い女性だったようです
現在も残るこの石段は、村人を守った奇跡の地として知られているそうです
その土石が吾妻川を堰き止め、やがて崩壊して鉄砲水となり 下流域の村落にも被害が多くでた
被害は55ヵ村に及び、流死人1,600人、流失家屋1,000軒以上となった
泥流は吾妻川から利根川を下り銚子、江戸まで到達したそうです
また火山灰によって日射量が減じたために天明の冷害(飢饉)の一因ともなったそうです
今日は ちょっと重たいブログ記事になってしまい申し訳ありませんでした
途中に案内の看板がある、さらに厳重な塀で囲まれた仏舎利塔の前を通り
一番奥の建物が宿泊施設の温泉
壁に大きな看板
丁寧な接客の女将さんに案内され食堂の一角にある流し台に源泉の蛇口があった
テーブルには、冷泉を飲んだ全国のお客さんからの手紙のコピーが病名別にファイルされていた
浴室は冷泉(22℃)を沸かした浴槽が2個、壁に描かれた蓮の葉と花・・枯れた葉も描かれている
掲示の温泉表示によると:温泉法のメタけい酸含有、PH9.7と高いが、透明で成分はあまり感じない
浴槽の間に、蛇口が飛びだしている・・・入浴しながら飲む源泉で飲みやすい
この源泉、「釈迦の霊泉」は、10リットル3500円で販売しているそうです
何日か宿泊して湯治さているお客さんも、おいでになるようだった


帰り道、浅間山の東側、群馬県嬬恋村にある
鎌原観音堂(かんばら)に参拝させてもらった
<以下の文は観光協会HPなどから引用>
●天明3年(1783年)7月8日、浅間山が大爆発した
火口より13㎞に位置する鎌原村は、火砕流に襲われ埋没、壊滅してしまいました。
当時の村の人口570人程のうち、477名もの人命が失われました。
しかし、火砕流に気づき、この観音堂にたどり着いた僅か93名のみが奇跡的に助かりました
熱泥流は、当時150段余り(50段の説も)あった石段の足元にまで迫り、15段を残して止まったといいます。
生死を分けた「15段」
昭和54年の発掘調査の結果、この15段のすぐ少し下で女性2名の遺体が発見され、
・・・・・・老婆をおぶった若い女性だったようです
現在も残るこの石段は、村人を守った奇跡の地として知られているそうです
その土石が吾妻川を堰き止め、やがて崩壊して鉄砲水となり 下流域の村落にも被害が多くでた
被害は55ヵ村に及び、流死人1,600人、流失家屋1,000軒以上となった
泥流は吾妻川から利根川を下り銚子、江戸まで到達したそうです
また火山灰によって日射量が減じたために天明の冷害(飢饉)の一因ともなったそうです
今日は ちょっと重たいブログ記事になってしまい申し訳ありませんでした

この記事へのコメント
温泉博士に掲載されていたので初めて行ってみました。温泉の効果や湯治も、科学的、医学的に立証されていない分野でも、それを信じて湯治してマイナスに、ならなければ、「心の湯治」にもなるのかな~?と思いました
現代医学では考えられない冷泉効果で回復された方もいるでしょうね。
鎌原村の観音堂の話は聞いて事があります、最後の15段より上の人は助かり、わずかのことで犠牲になった人がいるのですね、生死を分けた事は昨年の東北大震災の津波でもわずかな差で犠牲になった方が大勢いたように聞いています。
日ごろから災害の時の心の準備が必要になってきましたね。
家族の「絆」は200年前も同じですね、娘が老いたおばあちゃんを背負って非難しようとしたのだろうか。三原から鬼押し出に向かい、無料区間すぐです資料館もありました。
自然は恵みも脅威も背中合わせなんですね、人間が操作出来ないもの・イヤしてはいけないもの、原子力や遺伝子など人間がその領域を越えてはいけない物があるのではないでしょうか
私も「温泉博士」で利用させて頂きたいと思います。
先人は良く言ったもので、自然災害や異常気象を「天変地異」と称し、何やらおどろおどろしい印象を作り上げ、畏怖しました。
しかし、怖れ戦くだけではなく、その状況を詳細に文書に記録し、又は口伝し、後世の人々へ戒めを説きました。
寺田寅彦の「天災は忘れた頃にやってくる」は正に名言です。
あっ
それから「名胡桃城跡」の場所わかりました、やっぱり高山から国道17号に出たところでした、行きだったので寄りませんでしたが、食堂の横に駐車場がありました、今度時間があるときに寄ってみます。
名胡桃城跡は、碑や六文銭の幟が無ければ普通は気付きませんね。
しかし、この小城が関東に覇を唱えた後北条氏の滅亡の切っ掛けとなった事(名胡桃事件)を考えると、感慨深い気分になります。
「名胡桃城事件」、どなたかのブログを読ませてもらい勉強しました。しかし、目まぐるしい変化の時代だったんですね。
そうですね
他に、仏岩温泉鈴森の湯、上牧風和の湯、月夜野温泉三峰の湯を回湯&快湯して来ました。
名胡桃城跡も見学に行きましたが、駐車場(草原)がバリケードで封鎖されていました。
幸村さんが仰っている駐車場(砂利)は御食事処のものだと思います。
今度、食事がてら確認してみます。
末期癌…白血病…膠原病…花粉症(←これ、私個人の)など難病ぞろいで、医者も薬も不用ですか…
昔から物覚えが悪かったのに、このごろは拍車がかかって、それには効きませんか ?゚◇゚)?
”回湯&快湯”4ヶ所ですか、
「物忘れ」なんて、お若い方が何をおっしゃるのですか