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zoom RSS 上田城址公園散歩

<<   作成日時 : 2017/06/14 23:00   >>

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真田正幸、信之、信繁の城、上田城
昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」で全国から大勢の観光客が来て賑わっていた上田城跡
あまりの人の多さとのことを聞いて昨年は一度も来ることができなかった。

誘致運動、そして放映・・賑やかな年月も終わってしまえばあっという間のような気がする。

静かになり、やっと本来の公園散歩ができるようになった。

上田城
上田城 posted by (C)幸村

上田城のお堀は昨日の雨で濁っていた
小学校の授業だったか、このお堀で下駄スケートで滑った、真田紐で強く縛って・・・。

確かこの辺につり橋があった記憶

上田城2
上田城2 posted by (C)幸村

公園の中では当時もラジオの音が聞こえていた
地元ラジオ局、信越放送の塔が今も残っていた
上に釣鐘のように見えていたがよく見るとスピーカーが下向きについていた。
今は隣の東屋のスピーカーからNHKラジオが流れていた
たぶん災害時でも公園の人たちに伝わる目的もあるのでしょう

そうだ その頃なぜかここに熊がいた檻があった

上田城3
上田城3 posted by (C)幸村

武道館は今はなく隣の神社の敷地の隅に小さな土蔵を発見
上田城 赤松1
上田城 赤松1 posted by (C)幸村

赤松小三郎記念館
一度行ってみたいと思っていた旧北国街道の生塚(うぶつか)からこちらに昨年移転したようだ
そこにおいでの会の方に写真等ネット掲載の許可をいただいた
開館は4月〜11月上旬の土・日・祭 のみ。入館無料

2上田城 赤松
2上田城 赤松 posted by (C)幸村


数年前 あるところで四国からの旅行者に上田の人なら知っていると思い「赤松小三郎」の事を聞かれた
地元なのに恥ずかしながら全く知らなかった。
逆にその方から後でわざわざ資料を郵送していただき訪ねてみたかった記念館

      知られざる郷土の偉人
赤松小三郎
  竜馬に先んじた兵学者
       近代日本を築いた先覚者


庭に大きなパネルで赤松小三郎の物語が掲示されていた
一部を写真を撮ってきました
赤松小三郎物語です
子供のころの名は「芦田清次郎」で江戸幕府の終わりごろ上田藩士の次男として誕生
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剣術よりそろばんなど算数好きであった清次郎
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十八歳になり江戸へ出て、
有名な内田弥太郎や下曽根三郎、勝麟太郎(後の勝海舟)などの門人となって測量、天文、砲術、兵術など学びました。
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二十四歳の時に上田藩士赤松弘の養子となり、三十一歳で小三郎と改名、
勝海舟の門人の時、先生に従って長崎海軍伝習所に行き、オランダ人から軍艦の操作や航海術を学び、いくつかのオランダ語の本を翻訳して「英国歩兵練法」などの本にまとめました。
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だれでも知っている、今でも学校などで使われている
「気ヲツケ」「前へススメ」「止マレ」などの
号令はこの時、赤松が作った言葉です。

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長崎から帰って松代藩士の娘と結婚し、その縁で松代藩士の佐久間象山とも知り合い、手紙のやり取りなど親しくつき合いました。
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三十六歳の時、京都に出て塾を開きました、門人はあちこちの藩士が約八百人いたそうです。
門人の中に東郷平八郎たちもいました、英国歩兵練法や議会政治を教えた

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三十七歳の時、政治の中心にいた松平春嶽島津久光や徳川幕府に七項目の意見書を出しました

これが有名な 建白七策 で、
第一番に「二院制議会」づくりを述べています。
坂本竜馬がその一か月後に起草した「船中八策」と酷似、竜馬が影響を受けたと言う見方もある
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慶応3年 教え子の薩摩藩士に暗殺された、享年37歳
薩摩藩の軍事情報流出を恐れたか?


それから世の中が変わって
23年目に日本でも二院制議会が開かれました。





真田丸人気からやっと公園の駐車場も余裕となったので散歩にまた出かけたいと思います。

追記
3年前の大河ドラマ「真田」放映決定の頃のブログ記事

http://yukimura.at.webry.info/201406/article_3.html


●最後まで見ていただき ありがとうございます

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
幸村さん御元気ですか、地元の情報を聞かせて頂いて懐かしく読ませて頂いています、お濠も昔の面影がなく、鬱蒼と茂っていますね、そういえばクマの檻がありましたね、記憶の奥にしまい込んだ情報が出てきたような気がします。
赤松小三郎のことは全然知らなかったです、幕末の偉人佐久間象山が上田に通って寺の僧侶から学問を習った事などは聞いていますが、赤松小三郎のことは初めて聞きます、よい勉強になりました。
昨年の真田丸の頃には大勢の人出だと聞いていました、上田城のライブカメラを見ると入口の橋の上は縁日の人通りの様でした。
go
2017/06/15 17:40
go さんへ
真田丸ブームも去って公園は静かになって芝生の広場では幼稚園の親子遠足の園児たちがお母さんとお弁当を食べていました。そんな平常の公園の光景に戻ったようです。
赤松小三郎の写真が残っていて、鬼無里で個展をした時に来場者にその写真を見て作品を作ったら・・と言われたのがきっかけです(もちろんできませんが・・)。若い頃は興味もなかったこともあったが郷土にこんな偉人がいたことも知りませんでしたね。
お堀の写真はちょうど木が写っていますが昔の面影は残っていますよ、写真は城の鬼門の北東の隅で角が切れている場所です。
「2014年のドラマ決定の頃のブログ記事のアドレスも記事の最後に追加しておきました」
幸村
2017/06/15 22:06
こんにちは。ブログ玉いただきありがとうございます。

上田城址公園は昔むかし高校の修学旅行で訪ねました。「真田丸」決定の2014年秋にも訪ねましたが、上田城址は六文銭のノボリが立ってすでに盛り上がってましたが、駐車場がいっぱいでスルーしました。残念!!
池波正太郎が「真田太平記」を執筆中に通ったと言われる「刀屋」さんにも行きましたが、定休日で、結局名物上田のお蕎麦も食べられませんでした。

私は戦国時代より幕末史の方が好きで、松代の佐久間象山は知っていますが、赤松小三郎は全然知りませんでした。「赤松小三郎物語」とっても興味深く読ませていただきました。
パネルでの説明わかりやすくていいですよね。文章だけだったらめんどうでスルーしてしまいそうだけど、超私好みのタッチのイラストでわかりやすかったです。
それにしても幕末の先進の活動家って結局みんな暗殺されたり処刑されたり不合の死を遂げているんですね。
yona
2017/07/01 19:47
yona さんへ
コメントありがとうございます。そうでしたか、当地上田においでになられたことがあったんですね。そう「刀屋」のお蕎麦ですね、いろいろ詳しくご存じのようでびっくりしました。私も当地に居ながら「赤松小三郎」は最近まで知りませんでした。読んでいただきありがとうございました。
yona さんは韓国ドラマがお好きなんですね、私はあまりドラマは見ないのですが「トンイ」を見始めたらはまってしまい60話まで一気に見てしまいました。それから時代劇の「イ・サン」「根の深い木」を全部みてしまいました、続けて視たのでストーリが老人の頭ではかぶってしまっています(笑)。ただ女優さんが美しかった事だけはわすれません(笑)
幸村
2017/07/01 22:39
気をつけ、休め、気をつけ、前へ進め。赤松さんがこういった号令を開発しなければ小学校の体育や運動会はどんな感じで運営されたのでしょうかね(笑)。
sattoru
2017/07/08 03:01
sattoruさんへ
戦時中の野球は、ストライクは「よし」とかボールは「ダメ」とか言っていたそうです。号令が無かったら今、何て言って合図してたのでしょうね、「せーのっ!」ってのはないでしょうね(笑)
幸村
2017/07/09 18:17

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