幸村の散歩

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zoom RSS 上田城址公園(長野県上田市)

<<   作成日時 : 2014/06/22 09:57   >>

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≪2014/06/13≫税務署の説明会の待ち時間に久しぶりに散歩<

上田城は徳川の大軍の攻撃を2度にわたって撃退して日本全国に名を馳せた真田昌幸(幸村の父)の居城です。

 2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」日ノ本一の兵
 脚本監督は三谷幸喜さん 真田幸村に堺雅人さんが決まりましたね
どんな作品になるんのでしょうか

謎を秘めているから魅力
郷土史研究家の先生によると
この「信繁(幸村)」について
真田父子は徳川を向こうにまわし戦った人物
幕府が目を光らせていて 江戸時代は語られなかった
だから歴史的に資料も少なく本当のところがわからない部分が多い
「幸村」という名も後世の俗称で 本当のところはわからない
謎を秘めていること教科書にない だからミステリアスな真田は魅力がある
とのことでした

わからないところは脚色しだいということに・・
どんなドラマになるのでしょうか


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  勝っても負けても家名は残る

関ヶ原の合戦で 父昌幸の決断は
弟「信繁(幸村)」と「三成」率いる西軍に 
そして兄「信幸」は「徳川家康」らの東軍に加勢を決めた、 
兄弟が敵味方 どちらが負けても真田家は残る

徳川家康が天下平定により、豊臣方についた「昌幸・信繁」父子は高野山麓の九度山に配流され、二度と故郷の土を踏むことはありませんでした

一方 徳川の家来となっていた兄「信幸」(信之)は家康から父の上田城と領地を受け継ぎますが、その後、松代(現長野市)へ国替えを命じられました
こうして真田氏により松代藩として明治維新まで10代 250年にわたり藩を治めました
父 昌幸の思惑通りに・・・・・・・・
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         西の櫓





ビクともしない  真田石
上田城本丸櫓門の右手の石垣にある.高さ約2.5m・横約3mの大石.
築城の折り太郎山から切り出し据えたものと伝えられ真田石と呼ばれている
その後 真田信之(幸村の兄)が松代へ転封に当たって父の形見に持ち運ぼうとしたが、大勢の人の力でもびくとも動かなかったといいます
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秘密の通路  真田井戸
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井戸看板【この井戸からは抜け穴があって城北の太郎山麓の砦に通じていた、敵に包囲されてもその抜け穴から兵糧を運び入れ出入りに不自由しなかったという】
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太郎山の中腹に屋敷平という所がある、木が生い茂っていたが井戸跡らしいところがあったのを子供の頃覚えている、まさか・・・・・



関ヶ原の合戦にて西軍が負けたため、上田城は徳川軍に徹底的に破却され堀も埋められたが
江戸時代には仙石氏が入城し、現在のような姿に再建した
そして近年、昭和から平成期には櫓2棟が元の位置に、櫓門や塀などが復元されました


池の「隅おとし」
本丸を囲むお堀の鬼門の方向は池の角は斜めに角を落としている
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説明看板
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本丸跡、ここは桜の頃は「団子山」と言って市民の花見の中心です
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  幕末「坂本龍馬」よりも前に・・・・
それに運動会でのあの号令も・・・・・・

公園の片隅に東郷平八郎が碑文を揮毫した「赤松小三郎」の碑があります

幕末に上田藩で生まれ18歳で江戸に出て勝海舟に学び
幕末期に「坂本龍馬」よりも前に議会政治を提唱しています
京都で塾を開き、多くの弟子を育て
教え子に「東郷平八郎」(帝国海軍司令官)がいます

またイギリスの兵学書を翻訳し『英国歩兵練法』として出版し
「右ヘナラエ」「気ヲツケ」「カケ足ススメ」 の号令は赤松小三郎が翻訳の時につくったと言われています

帰郷を前に京都で薩摩藩士によって暗殺されました享年37歳
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地方の小さな上田藩に幕末の日本の歴史に係ったこんな人物がいたことは あまり知られていません


愛の鐘

朝昼夕と一日3回、
夕刻になると愛の鐘からは、おなじみ「夕焼け小焼け」のメロディーが流れます
昭和36年建設から半世紀 公園で遊ぶ子どもたちに家に帰る時刻を教えてくれます
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・・・・・記事の内容は関連の書籍やHPを参考にさせていただきました・・・・



頂いた「気持ち玉」の中にリンクがない方もおいでのようです
お名前がわかりませんがお礼申し上げます いつもこのブログを見ていただき  ありがとうございます

●最後まで見ていただき ありがとうございます

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驚いた

コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。
お城って面白いですよね。
歩きながら昔の人々の往来を想像しているととても楽しいです。
想像力を邪魔されない山の城址など歩くのが特に好きです。
あぶ
2014/06/22 14:41
ヤー雪村さん、こんばんは、雪村さんは立派なお宅に住んでいるのですね。
懐かしいんですが大分変っていて驚きます、お濠でスケートをした者としては、目から鱗ですよー。
そういえば再来年のNHK大河ドラマで真田雪村の大阪城での戦いをやるようですね、堺雅人の大ファンなので楽しみです。
上田も変わっちゃって、なんだかシャーね。
ハワイアンバンドをしていた頃の街に思いめぐらしています。
それではおやすみなさい。
go
2014/06/22 20:02
信繁の名は、父昌幸が尊敬していた信玄公の実弟・典厩信繁から拝領したとの説がありますね。
とある小説に、昌幸が信豊(典厩信繁の子)に信繁の名の使用許可を願い出るシーンがありました。
でも、何で長男ではなく次男に名付けたのでしょう?
実は、信繁(幸村)が長男で信幸(信之)が次男だったのでは?との説も!?
真実を知るのは上田城のみですね。
白色槍騎兵
2014/06/22 22:21
あぶさんへ
そうですね、近くにも山城跡がいくつかあります。散歩で登りますがどこも坂の厳しい所にあり、昔の人は体力があったんだな〜家臣も登城するのも大変だったろうな・・・など想像しながら散歩すると楽しいですよね
幸村
2014/06/22 22:22
 go さんへ
久しぶりの公園散歩、いろいろ思い出しました、下駄スケートで・・当時は氷が張るほど寒かったんですね。夏は市営プールまで真田線の電車線路を歩いて行きました、途中の鉄橋で度胸試ししたり、今の子供たちでは考えられない遊び・・。バンドの日はワシはミラノの隣の居酒屋で安い「カストリ」を飲んでから行ったりしました・・・思い出しますね〜。
真田丸は大阪城の戦いの時の幸村が築いた砦の名だそうです、たぶん後半のクライマックスになるのでしょうね、堺さんの「武士の家計簿」を見ました、加賀藩の下級藩士のドキュメンタリー的な作品で良かったです、今度どんな役作りになるのでしょうね
幸村
2014/06/23 08:50
白色槍騎兵さんへ
いつもコメントありがとうございます、今回上田城のブログアップしてお蔭でいろいろ興味がわきました、幸村の名前についてもいろいろな説があり話が広がりますね。
右のURLをクリックしてください、地元郷土史研究家の長野大学の特別講座のYouTubeです(途中から益子さんを聴いてください)益子さんは元上田市の観光課に勤務して郷土史家、歌舞伎役者、落語家、茶道家と多くの顔を持つマルチな方です。「信繁」について興味深いお話です、父昌幸は主君の弟の名を自分の子につけるのは変?、また幼名を17才まで使っていたのは変・・もしかしたらもっと後に生まれたのでは? とか・・益子さんは『真田太平記』池波正太郎さんの取材にも同行された方だと思います
今回いろいろ調べていたら楽しかったです
幸村
URL
2014/06/23 22:06
YouTube拝見しました。郷土の英雄を観光PRに役立てる手法は、近年大流行ですね。
しかし、これによって興味を抱くきっかけになり、知名度が上がることは間違いありません。
実際、大河ドラマ「天と地と」の放映によって「市河文書」(北信の市河氏に伝わる古文書)が発見され、それまで存在が疑問視されていた山本勘助の実在が証明されました。
様々なコンテンツでPRを行えば、観光業も賑わい、新たな歴史資料も発見される可能性が大いにあります。
白色槍騎兵
2014/06/25 13:49
 白色槍騎兵さんへ
そうですか山本勘助が実証されてんですか貴重な発見でしたね、確かに観光PRで経済効果が大きいと思います、2007年の「風林火山」の時は当地にも大勢のお客さんが押しかけてすごかったです、生島足島神社は武田信玄が戦いに際し奉じた直筆の願文があり毎日観光バスが・・・また上田原の普段草むらの田んぼの中の祠にも風林火山の旗が立っていました。
今度の真田丸も、正直ワシも観光にかかわりがあるので期待しています(笑)来年の善光寺の御開帳も期待していますがどうなることでしょうね
幸村
2014/06/25 21:51
大変勉強になりました!自分も最近、山城跡を散策してみたりしてます。歴史的なことは恥ずかしながら疎く残念に思いますが、城があったような山は概して見晴らしのいい所があって、標高の違いは有りますが結構急で登り応えがある気がします。毛利元就もこんな山に登っていたのかな〜などと思いながら…。木の生い茂っていた井戸跡、なんとも気になります!!
sattoru
2014/06/26 23:23
 sattoruさんへ
ワシも近くの山城跡を散策しましたがどこも急な坂道を上り見晴らしの良い所にありますね、その途中に土地の人に伝わっている地名に上平とか屋敷平とか言われた少し平らな場所は今は草木が茂っていても石垣があったりしてここに建物があったんだと想像して自分だけの歴史ロマンに酔うこともあります。それも里山散策の楽しみですね
子供の頃、真田井戸の伝説も信じていました
幸村
2014/06/27 18:17

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